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熊本地震

最初の地震があった時はちょうど木曜日、早めに仕事が終わり大江のジムで筋トレ後クロストレーナーに乗ってるときでした。いきなりものすごい音と共に強い横揺れが襲ってきました。その瞬間誰かが大型のトレーニングマシンを倒したのかと思いましたがそうではなく揺れは続きます。大きな地震が起こったということを理解するまで長くはかかりませんでした。すぐさまトレーニングマシーンに付いているテレビをNHKに切り替え緊急速報を見ました。このテレビは音声出力がイヤホンしかないのでジムの中の人たちに向かって大きな地震が起こったこと、震源地が熊本であることなどを伝えました。程なくジム内にアナウンスがあり、建物の安全は確保されていることが伝えられました。急いで着替えて帰宅しようと大江から北水前寺の踏み切り方面に向かいましたが、何時までたっても踏切が上がりません、地元の人から地震ですぐ横の駅構内に列車が止まってしまい踏み切りが開かなくなっていることを知らされ、急遽味噌天神方面に迂回して車を走らせました。
地震発生10分後ぐらいでは未だ道は車が若干多い程度で走行に支障はありませんでしたが、走行中でも余震を感じることがありました。途中、母の住む実家の安全を確認して診療所にたどり着きました。
診療所の中に入ってみると、建物は外観上はとくに大きな変化は無く電気も来ていましたが、部屋中に物が散乱して棚から全ての物が飛び出して、本棚は壊れてPC、TVは床に落ち、、、。まさに部屋を上下左右にひっくり返したようでした。ともかく物をかき分けて部屋に入ろうとしても身の丈から膝丈ほどの障害物を乗り越えて進むしかなくとても居住できる状態ではないことは歴然としており、とりあえずの火災、漏電、ガス漏れなどのおそれが無いことを確認してこの夜は実家に泊まることにしました。
余震が時々繰り返すので家の中にいるのもなんだか怖い気がしていつでも庭に飛び出せるようにして休まなければと思いながらふと当院のスタッフのことが気になりました。5名のスタッフの中で3名は家族と住んでるんで大丈夫だと思いましたが残りの2名、20台前半の二人はそれぞれアパートに住んでいます。一人は先日から嘉島で暮らし始めたばかり、そしてもう一人も錦が丘で一人暮らしをしています。まずは錦が丘の子に電話をしてみました。すると、ビルの4階の部屋は物が散乱していて余震が怖くて避難所に来ていますとの事。詳しく聞くと、避難所の中学校は体育館が倒壊の危険があるので入られないということで寒空の中校庭に毛布も無く佇んでいるとのことでしたので、車に乗り急いで回収に行きました。回収後、着の身着のままで避難所に来ていたということで一旦アパートの部屋に最小限のものをとりに行きました。アパートは電気が来ており共用部分の明かりもついていましたが、用心してエレベーターは使わずに階段で部屋に上がり荷物を取ってきました。建物は見たところ損傷も無く大丈夫のようでしたが上層階のゆれは気持ちの良いものではありません。車にもどりもう一人のスタッフに電話をしたところ、こっちも同様に嘉島の小学校の校庭にいるとのこと、風呂上りで髪もぬれたままだったようです。急いでこの娘も回収に行きましたが、こっちは電気が来ておらず、真っ暗な中学校の前に立っていました。こちらもアパートの部屋に必要最小限のものを取りに行き(こちらは真っ暗でしたので懐中電灯を頼りに)、私の実家に連れて来ることにしました。帰り道にコンビニに寄ってカップめんを購入しましたが、コンビニの店員さんは使命感を持って職務を遂行されており、客も買占めや割り込みなどの行動はしておらず、大変安心しました。途中通った田井島の交差点では交差点の中央が大きなお臍のようにマンホールを中心に窪んでいました。その晩は酷い余震に備え、いつでも庭に飛び出せるようにして彼女たちと実家の居間で夜を明かしました。幸い酷い余震も無く朝を迎えることが出来、仕事場である診療所に行きましたが、もちろん予約の患者さんがみえるわけでもなく先ずはと診療室から片付けに手をつけました。それでもおいでになる患者さんは数名有りましたが、二人の独身スタッフはとりあえず余震の心配もあり、いまのうちに実家に帰るよう段取りをして早々に医院を閉めました。その夜も診療所の自宅部分は足の踏み場もないようにひっくり返ったままだったので実家に泊まるようにしました。幸い電気が来ていたので非常食の夕飯を済ませ、もしもに備えて居間の窓際、何時でも庭に飛び出せるところに寝ることにしました。その時はまさかあんなに酷い本震が起こるとは思いもしていませんでした。
本震は、その夜完全に寝入った後にやってきました。
それは突然何の前触れもなく強烈な大きい振幅の横揺れが家や周囲の建物や地盤がきしむ不気味な音と共にやってきました。すぐさま起き上がり、鍵のかかっていないサッシを開けて庭に飛び出しました。地鳴りとガラガラと周囲の家から瓦が崩れ落ちる乾いた音の中、強い揺れで立っているのがやっとな状態がしばらく続き、家が潰れるんじゃないか、隣のマンションが倒れてくるんじゃないかと恐怖に駆られていました。最初の揺れから数分後、揺れは最初ほどはなくなったもののずっとうねる様な動きが続いており、程なく点けていた室内の照明が停電により消えました。
それからも振幅は大きくなり小さくなり、地盤がねじれるように歪む海に浮かんでいるような感触が続きました。母と3人懐中電灯を手にトランジスタラジオを情報源に庭に佇んでいました。もう一つの情報源である携帯電話からは地震の到来を告げる警報音が何度も鳴りましたが、これは全て地震が起こった後に鳴り始める状態で、震源地に近いところでは何の役にも立たず、それを止めるのが煩わしかった思いがあります。この大きなの地震は結局1時間ほど揺れ続き、その後間欠的になりましたが、その夜は建物に入るのが怖くて、隣の駐車場に止めた車の中でワンセグとラジオで情報を得ながら一夜を過ごしました。


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by watdent | 2016-06-18 12:35 | その他  

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